リーマン・ショック後の金融危機を阻止し、経済の回復を図るべく世界中で拡張的な財政政策が採用された2009年春、東京に立ち寄ったポール・クルーグマン米プリンストン大学教授はミンスキーの本を手にしていた。「ミンスキー・イズ・バック」と話しかけるとニヤっとしながら「イエス、ミンスキー・イズ・バック」と言っていた。
これまで書いてきたように金融市場の不安定性と金融危機を分析した経済学者は決してミンスキーだけではない。しかしマルクス経済学はもちろん、そうした経済学は米国を中心とするマクロ経済学の中ですっかり消えてしまった。ただ1人ミンスキーの名が残っているのである。
ジョン・スチュアート・ミル(1806年~1873年)をさかなに(大変に失礼な話だが)自由、平等、競争といった現代社会を支える大切な概念を再考しようという趣向である。なぜ今ミルなのかというと19世紀までの「自由社会」に関する様々な思潮がミルというひとりの思想家の頭の中で一旦ごちゃ混ぜにされ、そこから現代につながる重要な思想が生まれたからである。
21世紀の私たちは経済停滞に苛立ち、無力な経済政策を責め立て競争を妨げる過度な規制の撤廃を求めてきた。こうした政策発想は費用対効果を重視する功利主義の思考方法であり、ミルもその思想的系譜にいた。功利主義者にとって自由や競争は経済効率を高めるのに必要不可欠と考えられていた。両者はそれ自体が達成されるべき目的ではなく、あくまで豊かさを実現する手段であった。
19世紀の経済学者の多くも経済が停滞する事態に対しては自由や競争が妨げられて豊かさが実現されない非効率な状態と考え苛立ちを覚えた。しかしミルは停滞しているように見える経済を想定する場合であっても、その背後で様々な経済的メカニズムがダイナミックに働く余地のあることを見いだす精神のしなやかさがあった。
彼の功利主義はスポンジのような柔軟性を備えていたのである。もちろん自由や競争を軽視したわけではない。逆に彼は自由や競争自体に手段以上の崇高な価値を見いだした思想家でもあった。
「経済学原理」でのミルはデビッド・リカードなどの古典派経済学者に比べると平等な所得分配をはるかに重視した。ただ、競争を諸悪の根源とする社会主義者には競争の作法を説いている。「自由論」でのミルは少数のエリート支配からも大衆の支配からも自由な社会を実現するために言論の作法を説いている。
競争と言論の作法を説き、社会主義やロマン主義にも心を開いた。柔らかな功利主義に立ち戻ってみる。そして19世紀の巨人ミルが語りかけてくるメッセージをくみ取ってみたい。ミルは、ある主張への極端な傾斜がなく常にバランスと柔軟性をもって価値判断を示した。そうしたスタンスゆえに経済学の分野で純粋理論の提示を最終目的とすることは決してなかった。1848年に出版された代表的著作「経済学原理」でもミルの定理や命題と呼ばれるような経済理論への貢献はない。
ミル自身も「経済学原理」が出版当初から反響を呼んだのは「応用の書」であって「経済学を1個の完結した学問として扱わず全体を構成する部分と捉える姿勢を示した」からと考えていた。この著作の経済学的主張の基本線は当時主流派であった市場経済を擁護したリカード経済学の枠組みを踏み越えていないという意味でオーソドックスである。
しかし経済成長(資本蓄積)に対する評価や社会主義に関する見解は正統派経済学から距離を置いた考察を展開している。いわば正統の中に異端を封じ込めたような書物である。そこに魅力があった。